研修記②→海士町の挑戦「ないものはない」離島からの挑戦

研修記①→海士町の挑戦「ないものはない」離島からの挑戦

講義2 ワークショップ「地域の未来を切り拓くひとづくり」

  • 主任講師:隠岐國学習センター センター長 豊田庄吾氏

場所は隠岐の國学習センター。ここも洒落た造りです。基本勉強なんてしなかった学生時代ですがこんなところがあったら少しは勉強しに行ったんじゃないかと思わせてくれるいい環境の建物です。前日の夜にここの前を通ると、学生と思われる子たちも勉強をしている風でした。むしろ、勉強しなくても行きたいと思えるコミュニティだとおもいます。

そしてここから、以前は子ども向けの出前授業をする講師として、全国を飛び回っていた豊田氏です。大手情報出版会社の社員として、新規事業の立ち上げや人事を任されてきた実力者。海士町の教育事業の根底にある「島前高校魅力化プロジェクト」において重要な拠点になっている「隠岐國学習センター」のセンター長。

というか、話も上手で面白かったです。最初に「教育に興味があるのかを皆さんに聞いておきたいです」といい、興味がすごくある人は手を真上に挙げ、そこからバロメーター的に下に下がっていくような挙手で反応を見ますと。この皆さんの興味度合いによって話す内容も少し変えていくということらしいです。で、こういわれて「興味がない」と手を真下に下げる勇気のある人がそんなに多いわけなく、皆さん比較的しっかりと、手を挙げられていました。が、

 

僕?そりゃ真下ですよ。。。しかも講師の正面先頭で。。。

 

だって、今まで教育を「どげんとせんといかん」って思ったこと1ミリもないですもん。。。

ただ、豊田さんの話が面白い。3時間にも及ぶ講義だったのですが、そんな僕でも最後まで飽きずに楽しかった。それに地域おこしって何だろうと思いながら、思っていることが豊田さんの講義を聞いているうちに「答え」のようなものが見えてきたし、でもそれって、今の自分じゃまだまだ遠いものなんだけど、実は出来ることがいっぱいあって、いろいろなジレンマを飛び越えて、見据えるものが出来たようなきがします。

特に印象に残っているのが「海士町も成功例と言われているけど、そうは思ってない。今も海士町はこのままではいけないと思いながら、常にもがき続けている」と、「今、みなさんが思っている海士町もまだまだ問題はあるし、今まで上手くいって来れたことが他の地域でも通用するわけではない、結局このままでは町がなくなってしまうと強く危機感を抱いて仲間を作りもがきながら地域のことを考えれるか」って辺りがカッコよかったです。

 

そして、夜はホテルに戻って交流会ということで、

前町長、町長、課長やいろんなこの研修に携わっている方々も一緒に

飲みます。海士を肴に

山内道雄前町長。

流れに出てきてはなかったけど、海士町を変えた立役者吉本さん。

自称ジャニーズ系の「ないものはない(髪の毛)」面白いおじさんです。

 

 

 

そして、最終日

二晩泊まった部屋を後にし、

講義3 ワークショップ「あるものを活かしきる」

  • 主任講師:株式会社 巡の環 代表取締役 阿部裕志氏

「ないものはない」がテーマの海士町で、「あるものを活かしきる」というタイトルで始まりました。

まずはチェックイン・チェックアウトということで

今回はこのワークショップにどういう気持ちで取り組むかを体で示そうと

こんな状態になっております。

阿部さんの講義はワークショップと書いてあるようにいろいろみんなで考えて、発言し、「動」の時間でした。

まずは、ここ「マリンポートホテル海士」が改修を控えていて、ホテルの社長に直に、こうした方がいいというプレゼンをグループごとにしていきました。

写真がないですが、僕のグループは僕と境港の竹本さんが代表して、プレゼンをしました。

まあ、サンダルですけど。

そして、お昼ご飯もテーブルにテーマを作って語りながら食べるというゴリゴリの研修づくしな時間が過ぎ、14時にここで解散となります。

 

いろいろあったんですが、最後に1年後の自分に約束を書こうということで、

 

これにしました。これが僕の地域おこしの「答え」のようなものです。

多くは書きませんが今できることにこれが集約されているように思えます。

研修の内容はとても濃ゆくて頭が暴発してますが充実した2泊3日でした。

研修内容もさることながらいろんな地域の方々、同じように地域おこし協力隊の方々などたくさんの出会いがあったことは想定外に大きな財産になりました。フェイスブックなどで皆さんの活躍も楽しみにしたますし、一緒に絡めた何かもできるようにがんばります。

みなさんお疲れさまでした。そしてありがとうございました。

 

 

 

 

 

って、解散したんですが、結局みんな同じ船に乗るので14時解散って言いながら

このまま船の中も意識高めな学生たちと降りるまで熱く談義をして帰りました。・・・

そして、船が夕方七類港について、そこから車で家に着いたのが23時近かったって2泊3日でした。