【トイレで思ったこと】

最近、子供のおむつが取れはじめまして、トイレへ連れて行ってあげるんですが、この前ショッピングモールへ出かけた時にふと思いました。

 

「あれ?どうやってすればいいんだ?」

 

というのは、洋式便所に子供を座らせようと思ったんだけど…

これがやりにくい・・・

 

と、ふと思い出したんです。

 

「僕は、トイレの便座に座れない人なんです。」

 

自分の時はこうやって必ず座るんですが小さい子が上手に座れないじゃないか!!

 

あれ?自分の小さい頃はどうだったっけ?と思い起こすと

 

「そうだ!和式にしかいけなかったんだ…」

 

昔は、だいたい和式で、何個か個室があるところも一つは和式があったもんだ。

そして昨今、和式のトイレは絶滅に向かっております。

そんな時代の変わり目を生き抜いてきた僕にもある日、どうしても和式が見つけられず、決死の覚悟で洋式便所に挑戦したあの日の記憶があります。

初めてのその日は、どうしても座ることができない三宅少年は、無謀にも立ったままでやってやろうと…

 

結果はダメでした。

 

その日はもうトイレをすることを諦めて便秘覚悟で帰りました。

 

そして時代の流れは残酷に流れていき、洋式の勢いは勢力を増すばかり。。。

「一体、みんなはどうやってトイレをしているんだろう…?」

と三宅少年は本気で悩みました。

とにかくこの頃は外で【大】をしないようにしないように、出来るだけ計画的に凌いでいました。小学生の時の修学旅行、中学校の修学旅行なども1度も【大】をせずに過ごすなど、体が時代に抗うように適応していきだしました。

 

 

 

それでも長い人生、そうも言ってられない状況に陥り、忘れもしないあの日の事です。

「もう座るしかないのか…」

 

「いや、座れない‼‼」

 

そんな汗も止まらなくなる程の限界値に達し、個室の中で禅問答のような自問自答を繰り返しチェックメイト寸前に今後の人生を左右する

【ひらめき】が起きたのです!

「トイレットペーパーを敷けば座れるじゃないか!!」

 

最初はなかなか難しかったですが、何度も練習していくうちに

この1枚のトイレットペーパーで体の危機を守る最も美しい方法に辿り着いたのです。

 

これはエジソンも驚きの大発明だと、友達に教えてあげたところ

 

友人:「いや、そんなことせずに普通に座るし…」

 

は?

 

 

え?あなたはそのまま直で座るの?

 

 

友人:「普通、みんなそのまま座るじゃろ?」

 

 

 

 

「普通」

 

って、なんやねん。

三宅少年にとっては便座に座れない人生が普通であって、そのまま直で座る人の気が知れないです。

今では

こういう便座カバーもあるし、除菌スプレーなども置いてあるところも多いです。こういうのを初めて見たときに

「あ、僕と同じ悩みの人がたくさんいるんだな」と思いました。

だからあの時の友人も自分の世界で話しているんだなと。

調べてみますと

普通:[名・形動]特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。「今回は普通以上の出来だ」「普通の勤め人」「朝は六時に起きるのが普通だ」「目つきが普通でない」

ということで

常識:一般に学問的知識とは異なり,普通人が社会生活を営むためにもち,またもつべき意見,行動様式の総体をいう。これは経験の集積からなることが多く,時代や場所や階層が異なれば通用しないものもあり,多分に相対的なものである。

なので、友人の言葉を狩るわけではないですが、普通=常識として語ってきたわけで常識とは相対的であり、経験からの集積がまだ彼には乏しいわけです。

そしてもう一つ、その昔がまだ僕が生粋の「マヨラー」だったころ、ご飯にマヨネーズをかけて食べるとめちゃくちゃ美味しく、「これだけで米が進むぜ」なんて言っていたら、母親は

 

「汚いからやめなさい」

 

といいました。

確かに周りの誰もマヨネーズご飯を食べる人はいなく給食などでもおかずがマヨネーズということは1度もなかったです。

 

がしかし、時がたち三宅少年が住む岡山県は井原市の田舎にもコンビニが出来た時に三宅少年は見つけたんです。

 

「ツナマヨおにぎり」

 

 

なんて素敵な食べ物なんだろう…

 

あんなに汚いと言われたご飯とマヨネーズが結ばれているじゃないか!

彼らはたくさんの迫害を受けてもなお、真実の味を信じてツナという仲介を通じて平成の世を逞しく生き抜いているじゃないか!

今では汚いと言っていた母親も普通にツナマヨ食ってるじゃん!!

 

「常識を疑え」

 

僕は小学生にしてこの精神で生きていくことを誓いました。

それでもこの常識とは厄介で出る杭は打たれるし、新しいことへの挑戦は笑われることが多いです。

何年か前にホリエモンこと堀江貴文さんが言ってました。

 

「朝ご飯に納豆、まずここから疑え」

 

思考を停止させるなということと捉えております。

ここで間違えちゃいけないのが

 

常識・モラル・マナー

 

 

だと思います。

常識は押し付けてはいけないと思います。あなたの常識はあなたの経験値から形成された範疇のモノサシであって、あなたが知らないだけで世の中にはたくさんの常識が存在します。例を例えるなら、テレビなどでクイズ番組とかやってますけど、専門職の仕事の問題とかがクイズに出されたり雑学のコーナーなどで紹介されたりしますが、その職種についてる人からすればそれは常識です。

押し付けていいわけでもないですが、モラルやマナーは基本同じように疑わずに右に倣っておけばいいんじゃないでしょうか。思考を停止せずに喋るなら「他人に迷惑をかけない」ことかなと。

LGBTの世界などは僕にこの考え方を深めさせてくれます。

性同一障害など、大人になるまで存在すら知らなかったので、「男が男を好き」など自分の常識が音を立てて壊れていきます。

どんな相手にも敬意をもって思いやり、相手を深く知ろうとすれば素敵なんじゃないでしょうか。

SEKAI  NO OWARIのドラゲナイト風に言うと

人はそれぞれ「正義」があって争い合うのは仕方ないかも知れない

だけど僕の嫌いな「彼」も彼なりの理由があると思うんだ

だけど僕の「正義」が彼を傷つけていたんだね

ってことでしょうか。

 

ということを子供をトイレに連れて行って考えてました。

そしてまだ子供をどう座らせるのがベストなのか思いついていません。