東京から戻ってちょうど1年。最初は何をしていいのか分からないまま始まって、1年経ちました。
4月1日、美星の脇さんと一緒にスタートした地域おこし協力隊。
まず、最初に困ったのが、予算。
井原市の協力隊の予算の仕組みは
【給料2,000,000円+経費2,000,0000円】
ということで、月々入ってくる給料はなんやかんやで15万6千円ほどです。
この中から国民保険や年金を払っていくので途中、何度も死にかけました。
経費の方で家賃や車のリース代、燃料費などは計上できるとはいえ、無茶苦茶きついです。なんせうちは家族4人ですし。。。
そして、それもだけど何に困ったかというと、経費をもらうための申請書類の多さ。。。
お役所的な書類の書き方にはホント参りました。
この給料じゃヤバいと仮想通貨に
手をだしたところ、買ったまま一度も浮上することなく撃沈したりしてます(笑)
まあ、お金のことはしんどいながらも、なんとかここまで生きてきました。
そして協力隊としてというより田舎に戻ったらやりたかったことはたくさんやれました。
畑をやりたかったんですが
大家さんが畑を貸してくれたり色々教えてくれたおかげで今年はたくさん野菜が食べれました。
あと、釣りにも行けました
そして、思わぬラッキーでこんなことも。
ゲストハウスの一角を借りて週1ですが飲食店もやらせてまらいました。
自分好みの料理を出せて楽しくやらせてもらってます。
遊びも全力ですが仕事もそれなりに色んな事がありました。
もともと、ホントに何をしていいか分からないままの最初の大きなアクションが
これですね。「うたごえ広場」という公民館の行事で、演奏しながらお客さんと一緒に歌うという、一種の歌声喫茶的な催しです。
歌が得意ってだけで館長に勧められてやってみましたが、これが大きくヒット!
新聞に載せてもらったり、井原のローカルテレビが入ったりと活躍が表面化されたアクションでした。これを皮切りにいろんなところでお声がかかり、
「歌う協力隊」として言われるようになりました(笑)
いろんな場所でいろんな人と一緒に演らせてもらい、たくさんの方に知ってもらう機会を与えてもらえました。
そして、そんなこともあり順風満帆なスタートを切ったかと思われたんですが
7月、僕の住む井原市も大きな被害に見舞われました。
岡山に越して3か月目の事でした。
この影響で夏のイベントなどは次々と自粛という名の中止を発表していきました。
ぼくも参加予定のイベントも中止になったりと予定が白紙になっていきました。
そこで井原市の協力隊のメンバーでボランティアとして災害復興に参加しました。
結果的なのですが、このボランティアの参加のおかげで、普段会うことのない他の協力隊の人たちとも仲良くなり、いろんなことが今に繋がっていたりもします。
そんななか、相次ぐ中止に寂しさを覚えたうちの館長が「大きな飲み会をしよう」という一声で。
こんなこともやりました。事情も事情なんであまり大きな声で告知をしなかったにもかかわらず、100人を越える人たちが集まり、軽くキャパオーバーを起こしてしまいました。
が、これがとても参加した地元の人たちから評判がよく、また今年もやろうという流れになってます。
マイナスの中からもたくさんのプラスに繋がることがあって素敵だなとおもいました。ちなみにこのイベントはチャリティということで、結果10万円の寄付を市にできました。
そして、チャリティといえば、もう一つ
井原市出身の「大山まき」さんを井原に呼んでライブをしました。
協力隊の神田さんがぜひ呼びたいと、話を持ってきてくれて実現しました。
こちらも市長に直接、義援金などを持って行ったりしたところを、井原のローカルテレビや新聞が掲載してくれたおかげで色々盛り上がりました。
しかも、このイベントの後、まきさんは
全国ネットのテレビ番組に出たりしたおかげで話題沸騰です。
やっぱり、テレビの力は偉大です。今年また井原市内の別の場所でまきさんを呼びたいなんて話がきてます!!
表面化した活動は他にも「いずえカフェ」という毎週金曜に公民館でランチをやっているのをお手伝いしたり、単発的にいろいろなことはやってきたんですが、
(例えば防災マップや、避難カードの作成)
(地元の史跡の刊行の手伝い)
(会計の事務処理なども・・・)
水面下でもしっかり今後のいろんな打合せや作戦を練ってます。
今年度の協力隊の予算もしっかり組みましたし。
いろいろ研修にも参加してきて自分に何が出来るか、少し見えて来てるし、まだまだ模索するし、関わってるみんな幸せにしたい。
これからいろいろあるんで、また2年目も
よろしくお願いします!